レトリックのもつマイナスのイメージ
レトリックのもつマイナスのイメージ
レトリックの持つ「ヤミの部分」
「レトリック」ということばには、良くないイメージを持つ人が多いのではないかと思います。レトリックがもつ「ヤミの部分」があるのは否定できません。
レトリックに関する本からも、そのことが分かります。
こんなかんじ
『論争と「詭弁」』(香西秀信/丸善)から
かつては、レトリックと言えば、白を黒と言いくるめる類の詭弁の術か、言葉を無意味に飾りたてるための化粧術、あるいはせいぜいが単なる言葉の遊びとしてしか見なされなかった時代があった。
だから、その時代のレトリック研究者の仕事は、何よりもまずレトリックに対する「誤解」を解き、その悪名をはらすことから始めなければならなかった。
『文章をみがく』(中村明/日本放送出版協会)から
「レトリック」ということばはどうも評判が悪い。「それはレトリックにすざない」とか「レトリックにごまかされるな」とか、軽蔑的なニュアンスで使われることが多いようだ。長い間、文章のうわべを飾るまやかしの技術だったからだろう。たしかにそのことばには虚飾のにおいがしみついている。実質の稀薄な人工的なはなやかさが前面に立つ。」
どうしてイメージが悪いのか
悪いイメージが、ついて回る
どうして悪いイメージが、ついて回るのか
では、どうしてこんなにも良くない印象が強いのでしょうか。
それは、「レトリックというものが歩んできた歴史」からの影響があります。
レトリックが誕生した理由
長くなるのですが説明すれば、つぎのようになります。
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紀元前5世紀のギリシアにあるシラクサで、独裁政権が倒れた。そのため、独裁者から取り上げられていた土地を、もとの持ち主を返すことになる。そこで具体的には、民事訴訟をおこなうことによって、土地の所有権を主張することになった。
ここで、訴訟をうまく運ぶためことの専門家として、「レトリック」の使い手が現れる。
もちろん、レトリックの使い手が公平無私に弁論をしてくれば問題ない。しかし、自分を雇ってくれたの依頼どおり、土地を取り返すことができなければならない。
そのため自然と、依頼主に有利なことだけを強調して法廷に立つ。
そのためレトリック使い手は、だんだんと舌先三寸になっていく。つまり、「レトリック」の技術を必要以上に使うことで、民事訴訟に勝つようになった。
けれども、裁判に負けた人々としては「レトリックを使ったために、うわべだけの言い回しのせいで裁判に負けた」と考えるに違いありません。
このようにして多くの人が、「レトリック」=「悪」というイメージをもつようになりました。
結局シラクサで生まれた「レトリック」は、誕生したのと同じ時期に「悪だ」というレッテルを貼られてしまったのです。
それを踏まえて
これより後に書くのは、私(サイト作成者)の考えというか意見になります。
けっきょくのところ、大切なのはレトリックの「使いかた」なのです。つまり「使いかた」が正しいかどうかは、レトリックを使う一人一人に、ゆだねられているのです。
「レトリック」そのものは、良いものでも悪いものでもありません。「レトリック」を使うことによって、その場限りでの無理な「こじつけ」にもなる。でも、すばらしい小説を生みだすこともできるのです。