- み熊野の浦の浜木綿
- 百重なす 心は思へど直に逢はぬかも (柿本人麻呂)
]]]をあげてみます。
今回は、「意味によって結びついたもの」に当たるかを考えます。そのため、この「
百重なす百重なす」という言葉がどのような意味をもっているかを考えていくことになります。
まず、前提として。
「
百重なす」という言葉の、単語としての意味を確認しておきます。すると、だいたい「幾重にも重なり合っている」というような意味になります。
これをふまえたうえで。
「序詞」の部分と、それに続く言葉(被序詞)との関係での「
百重なす」の意味を、さぐっていくことになります。
まず前半部分の口語訳を考えてみると。「熊野の海岸の浜木綿が幾重にも重なり合っているように」といったぐあいになります。なので「序詞」との関係では、「
百重なす」というのは「(浜木綿が)幾重にも重なり合う」ことを意味します。
これにたいして、後半部分を口語に訳してみると。「心では幾重にもあなたのことを思っていますが、直接逢えないことだなあ」というかんじになります。つまり「序詞」によって導きだされた後半部分との関係では、「百重なす」が「(心であなたのこと)幾重にも思う」ことを意味します。
ようするに。
「幾重にも重なり合っている」ということを意味する、「百重なす」ということば。これが、「浜木綿の生え具合が幾重にも重なり合っている」ことと「(心であなたのこと)幾重にも思う」ことの2つを、意味によって結びつけていることになるのです。
おまけ。
「浜木綿」はハマユウと読みます。植物の名前です。草です。いちおう[Wikipedia「ハマユウ」の項目]へのリンクを置いておきます。
 「序詞」の長さは、かなり自由 「序詞」の長さは、かなり自由
- 「序詞」の長さは、2句のものが一番多いとされています。そしてそれに次いで多いのは、3句のものだといわれています。
 
 なのですが。
 それは、たんに「多い」というだけの話です。実際のところ「序詞」の長さは、わりと自由です。たしかに「枕詞」のばあいには、だいたい1句(5音)になっています。ですがそれにたいして「序詞」は、作者のオリジナリティによって長さが伸びたり縮んだりするものなのです。
 
 そんなわけで。
 「長い序詞」と「短い序詞」の例を、ちょっと見てみます。
 歌のほとんどが「序詞」のもの——「長い序詞」 歌のほとんどが「序詞」のもの——「長い序詞」
- たとえば。
 4句くらいの長さがある「序詞」として、- 吾妹子が赤裳ひづちて植ゑし
- 田を
- 刈りて蔵めむ倉無の浜 (万葉集巻九・1710)
 
 
 この和歌のうちで、「吾妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて蔵めむ」が「序詞」です。
 そして残った「倉無の浜」という部分だけが、「序詞」ではないところです。なお「倉無の浜」というのは、大分県あたりにある地名だとされています(大分県中津市竜王町に「闇無浜神社」というのがある)。
 
 そういったわけで。
 全部で5つの句がある和歌のうちで、4つの句が「序詞」で占められているというわけです。刈った稲をおさめる「倉」によって、地名の「倉無」という言葉が導きだされています。
 
 4句の長さをもつ「序詞」としては、たとえば上のようなものがあります。
 「枕詞」と同じくらいの長さの「序詞」——「短い序詞」 「枕詞」と同じくらいの長さの「序詞」——「短い序詞」
- これにたいして。
 短い「序詞」として、- 長からむ心も知らず黒髪の
- 乱れてけさは物をこそ思へ (千載集恋三・802)
 
- 結論からいえば「序詞」に当たるのは、「黒髪の」の部分だけです。けさ起きたときの「黒髪の乱れ」という比喩をつかって、「心の乱れ」をあらわそうとしている。「黒髪の」という「序詞」が、「乱れ」という言葉を呼び起こしているということになります。
 
 とすると。
 「黒髪の」については、「序詞」ということができます。しかしながら、それにしては短いのです。1句(5音)の長さしかありません。長さだけ見れば、「枕詞」との違いを見つけることができないのです。
 
 このことからいっても。「序詞」であるかどうかを考えるときに、その長さを基準とするのは良い方法ではありません。
 
 (細かいことを書けば、この「黒髪の」という部分を「序詞」と考えない説もあります。5音の長さをした「序詞」というものを、認めない考えかたもあるからです。そのばあいは「序詞的」といったぐあいに、「的」をつけることになります)。
 口語へ意訳するときの注意点 口語へ意訳するときの注意点
 「序詞」は、しっかりとした意味をもって和歌に詠みこまれている 「序詞」は、しっかりとした意味をもって和歌に詠みこまれている
 「序詞」は、比喩表現として意訳しておくのが無難 「序詞」は、比喩表現として意訳しておくのが無難
- では具体的には、どのように訳しておけばいいか。
 
 この点、「序詞」については。
 「○○のように」という「比喩表現(直喩表現)」として意訳しておくと、だいたいの場合にはうまくいきます。今回引用した、- 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
- われても末にあはむとぞ思ふ (崇徳院)
 
 - (川の)瀬の流れが速いので岩にせき止められる急流が、
- 二つに分かれていても結局合流するように、
- あなたとの仲が人に妨害されて、たとえ分かれることがあっても、
- 将来はきっと一緒になろうと思う
 
 
 このように。
 「序詞」にあたる部分を「○○のように」としておけば、無難に意訳ができます。ほかには、「○○ではないが」「○○ではないけれど」といった言いまわしも使えます。