引用法:他の文章や作品から言葉を借りて自分の作品に使う
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引用法・引用
関連レトリック
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いんようほう・いんよう
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解説「ある人がエルサレムから
イスラエルに行く途中
強盗に襲われて ボロボロになった。
(略)旅のサマリア人 だけは彼を見て
(略)宿屋について行き 介抱した。
翌日 お金を 宿屋の主人に手渡し
『この人を見てやって下さい
費用が余計にかかったら
帰りがけに私が支払います』
と言った。」
ルカによる福音書より
善きサマリア人の喩え
『汝の隣人を愛せよ』
友人M「そんで 原稿の方は?
仕事 はかどってる?」
↑決して悪意はない
カワハラ(プツッ)
↑心の中でなにかが切れた音
「
我はαでありΩである
最初の者であり 最後の者である
初めであり 終わりである
我はダビデの若枝
また子孫であり 輝く
明けの明星である
きたりませ きたりませ
-然り 我はすぐに来る
ムニャムニャ」
友人M「神様のフリして
ごまかそーとしてるね」
解説「
ヨハネの黙示録より
『ああわざわいだ わざわいだ
地に住む人々は わざわいだ
』」
-『小人たちが騒ぐので』21ページ(川原泉/白泉社 JETS COMICS)
引用法・引用
は、他の文章や作品から言葉を借りてきて、自分の作品に使うというレトリックです。言いかえれば、誰かが使った言葉を、自分の言葉の中に引いてきて使うものです。
説明に用いたりすることで、自分の考えをわかりやすく伝える
説明を深い部分まで知ってもらいたいとか、自分の話に説得力をもたせたりするために、使われます。
:考え、例示、示す、説明、説く、解説、能率、効率
自分の考えを相手に強く伝える
よく知られたことばを「引用」することで、強い説得力を増す。また、能率よく伝えて分かってもらうことができます。
:伝わる、伝える、伝播、伝達、コミュニケーション、説得、説明、説く
権威に付きしたがうことで、自分のことばの妥当性を主張する
権威に付きしたがうことで、自分が話している(書いている)ことに、より強い説得力を持たせることができます。
:権威、重み、威厳、いかめしい、重々しい、妥当、適切、適正
引用文をつけることで、より品位や奥行きを与えることができる
引用文では、本人ではない第三者の考え差し込むまれます。そのため、本人の考えかたと第三者の考えかたとが、いっしょに示されることになります。そうすると、本人と第三者との考えかたが混ざりあうことになります。ですので、話に奥行きを与え広がりを与えることができるのです。
:品位、品、上品、優雅、エレガント、ゆかしい、奥ゆかしい、奥ゆき、厚み、厚さ、味わい、趣き、情趣、趣味、趣向、風情
引用文は改変しないのがふつうなので、気を遣わずに手軽に使える
以前にだれかが書いた(話した)文をそのまま、自分の文にとりいれる。それも、引用文に手を加えないことがマナーなので、引用元の文をいじってはイケナイ。こうなると「引用法」は手軽に使える、カンタンなレトリックだといえます。
:引用文、引く、利用、活用、転用、便乗、援用
核となっている部分を的確に選び、なるだけ短い文で引用する
核となっている部分を引用することが大切です。また、長さのある文を何度も引用すると、もはや自分の文章ではなくなってしまいます。
:核、核心、中心、焦点、ピント、中核、中枢
文章が重くなったり、衒学的になったりする
使いすぎると文章が重くなったり、衒学的になったりすることがあります。これは、引用元(引用される側)に書かれている文が難しければ難しいほど、引き起こされやすいものです。
:重い、重たい、堅苦しい、気重、重たい、衒学、てらう、見識ばる、かしごだて、さかしら
勝手に、引用文に手を加えてしまうことがありうる
勝手に、引用文に手を加えてしまう。これは、れっきとした犯罪(同一性保持権の侵害:著作権法違反)です。なので、引用文を改ざんするのは禁止されています。
:手を加える、加工、つくりだす、こしらえる、作りかえる、再製、改ざん
「引用」は「盗用」と隣りあわせ
「引用」は「盗用」や「盗作」「剽窃」と隣りあわせです。このサイトが、他人の描いたマンガを(許可無く)使っているのは「引用」です。けれども、マンガの作者の名前を書いておかないと「盗用」になります。こういった議論が好きなかたは、このサイトにある
[「著作権」のページ]
をご覧ください。
:盗用、盗作、剽窃
引用は『小人たちが騒ぐので』より。
この本のこのあたりは、「引用法」に分類される「
明示引用
」や「[
暗示引用
」が、たくさん出てきます。
まず、「
明示引用
」から。
ルカによる福音書より
善きサマリア人の喩え
『汝の隣人を愛せよ』
見てのとおり、「ルカによる福音書」から引用した言葉であるということが、しっかり書かれています。なので、これは「
明示引用
」になります(厳密に書くと、「ルカによる福音書」第10章25節-37節)。
つぎ。
ヨハネの黙示録より
『ああ わざわいだ わざわいだ
地に住む人々はわざわいだ』
これも、「ヨハネの黙示録」から引用した言葉であるということが、しっかり書かれています。なので、これも「
明示引用
」になります(これも厳密に書くと、「ヨハネの黙示録」8章13節)。
以上が、「
明示引用
」の例になります。次に、「
暗示引用
」のほうを見てみましょう。
我はαでありΩである
最初の者であり 最後の者である
初めであり 終わりである
これは、「ヨハネの黙示録」からの引用のようです(22章13節)。しかし、出典であるとか、誰の話した言葉であるかであるとかは、書かれていません。したがって、これは「
暗示引用
」にあたります。
我はダビデの若枝
また子孫であり 輝く
明けの明星である
これも、「ヨハネの黙示録」からの引用のようです(22章16節)。しかし、さきほど書いたのと同じ理由によって、これは「
暗示引用
」にあたります。
つぎ。
きたりませ きたりませ
-然り 我はすぐに来る
これは、「ヨハネの黙示録」からの引用のようです(22章20節)。これも「
暗示引用
」にあたります。
…と、引用されているのは、この5カ所のようです。私はキリスト教とも縁がないし、聖書を読んだこともありません。ですので、googleをフル活動させて出典を探しました。多少の間違いがあるかもしれません。
*
さらにいうと。
上で引用したのは、『小人たちが騒ぐので』の中の「小人たちが騒ぐので(2)」に収録されているものです。で、この「小人たちが騒ぐので(2)」のサブタイトルを見てみると、こんなことが書いてあります(19ページ)。
-小人たちが騒ぐので(2)-
我思う 故に我あり じっと手を見る
哲人まんが家・川原教授の頭の中は一体どーなっているのか
ちょっと覗いてみたいアナタにおくる
必読のエッセイコミック!
の
「我思う 故に我あり」
と
「じっと手を見る」
というところも、引用です。
「我思う 故に我あり」
のほうは、デカルトの言葉です。
「Cogito ergo sum」(コギト・エルゴ・スム)と言ったりもします。
で、
「じっと手を見る」
のほうは、石川啄木の短歌です(念のため書いておくと、これは「ぢつと手を見る」を現代の仮名遣いにしたものです)。
これらは、どちらも「
暗示引用
」に分類することができます。
「引用法」とほかのレトリックとの関係
「引用法」に関係するレトリックを、いくつか見ていきます。
「引用法」と「明示引用」「暗示引用」との違い
この「引用法」は、大きく分けて2つあります。それは、「誰の書いた、どの部分からの引用なのか」を明記するかしないかによって分けられます。
この区別によって「引用法」のグループは、つぎの3つに分類されます。
明示引用
:「誰の書いた、どの部分からの引用なのか」が、はっきりわかる場合
暗示引用
:「誰の書いた、どの部分からの引用なのか」が、書かれてはいないが分かる場合
引喩
:よく知られている表現を、暗示的に引用する場合
くわしくは、それぞれの項目を参照して下さい。
「引用法」と「本歌取り」との関係
日本には古くから、「本歌取り」というかたちで、多くの「引用」がおこなわれていました。
そして現代は、小説・音楽など、さまざまな分野で次々と新しい作品が創られています。そして、新しい作品は、もとからあった作品の影響を受けていることが多くあります。つまり、前からあったものの影響を受けて、新しい作品がつくられる。それは、大きく見れば「引用」ということができます。
このことは、マンガについても同じことがいえます。マンガでも大きく見れば、いろいろな「引用」が見られます。
「引用法」の引用元となるレトリック
「引用法」で借りられる物は、他の文章や作品のものではない場合もあります。「名言」や、「成句」・「格言」・「ことわざ」・「故事」。それに、よく知られている「詩歌」など。借りてくるものは、いろいろなものがあります。
「引用先」と「引用元」との関係
「引用法」によって「引用」された文や言葉は、引用元となっている文や言葉と、完全に一致するものではありません。
というのは、引用元では、そこに一つの文脈があったわけです。その文脈から「引用」によって切り離されて新しい文脈に組み込まれたことで、新しい文脈からの影響を受けることになります。したがって、「引用」の元となっている文または言葉と、新たに「引用」された文または言葉とは、完全に一致するものではありません。
「引用法」の依存性
この「引用法」に属するレトリックと、「パロディ」に属するレトリックには、1つの共通点があります。それは、「一流でよく知られているものに依存して作られている」というところです。
つまり、「引用」するものは有名でなければならないということです。だれも知らないようなものを「引用」してきても、ちっとも力を発揮しません。あくまで、「読み手」または「聞き手」のひとが、どこから「引用」してきたのかが分かるということが大切になってきます。
引用法・引用
『日本語修辞辞典』(野内良三/国書刊行会)
このページのネタ本。レトリックの視点からみた「引用」を、過不足なく解説してあると思います。
『原稿用紙10枚を書く力(だいわ文庫 9?4 E)』(齋藤孝/大和書房)
文章を書きたい人が、この本のおもな読み手だと思います。ですが、「引用」についてかなり長い説明がされています。レトリックでいう「引用」ではなく、作文技術を知りたい人には、こちらをオススメします。
『引用の想像力』(宇波彰/冬樹社)
1冊丸ごと、引用について書かれています。また、『日本語のレトリック(講座 日本語の表現 5)』(中村明[編]/筑摩書房)には、同じ者が執筆を担当した部分があります。
関連するページ
明示引用
:引用のうち、引用だということを明らかにしているもの
暗示引用
:引用のうち、引用だということを明らかにしていないもの
引喩
:知られている表現を暗に引用しつつ、それに手を加えるもの
そのた
●引用をともなうレトリックの例
:
パロディ
-
パスティーシュ
-
本歌取り
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