首尾同語:一つの文のはじめと終わりが同じことばにする
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首尾同語 しゅびどうご epanadiplosis

『バクマン。』1巻77~78ページ(大場つぐみ[原作]・小畑健[漫画]/集英社 ジャンプコミックス)
  • シュージン(秋人)「サイコーが亜豆の事
  • 好きなの知ってるの
  • 俺だけだろ」
  • サイコー(最高)「ああ 誰にも言うなよ」
  • シュージン「じゃあ 恋の悩みを
  • 相談できるのも 俺だけ
  • 無二の親友恋もマンガも
  • 力を合わせて頑張ろう!
  • 恋は恋 マンガはマンガ
  • サイコー「……あっそ」
-『バクマン。』1巻77~78ページ(大場つぐみ[原作]・小畑健[漫画]/集英社 ジャンプコミックス)
  • 定義重要度1
  • 首尾同語は、一つの文のはじめと終わりが同じことばにするというレトリックです。つまり、文で最初に来たことばが、最後にもう一度出てくるということです。

  • 効果

  • 効果1念を押すため使うことで、よく分かってもらう

  • 話をする時。一回言うだけでは、必ずしも分かってもらえないことがあります。そこでこの「首尾同語」を使うことで、もっと理解してもらうことができることになります。
  • キーワード:念を押す、確かめる、くっきり、はっきり、際やか、鮮やか、鮮明、明らか、明晰、明白、明瞭、見るからに、目立って
  • 使い方
  • 使い方1日本語で使い方は、実は難しい

  • 一つの文の最初と終わりを、同じ語句にする。それで「首尾同語」は成立します。なので、一見カンタンなように思われます。

    ですが日本語では、ふつう文末には述語がくる。この関係で、実際に「首尾同語」の文を作るのは、わりと難しいのです。
  • 注意

  • 注意1日本語では、成り立つことが少ない

  • 日本語では述語が文末にくるという文法の性質上、あんまり多くは見かけません。日本語で探すと、

    • 「人は人」
    • 「自分は自分」
    • 「安物は安物」


    などのように、定型句となっているものはあります。しかし、それ以外のものは、少ないといえます。
  • 例文を見る)
  • 例文は『バクマン。』1巻。

    主人公は、真城最高。14歳。ニックネームは、「サイコー」。本名は「モリタカ」と読むのだけれども、学校では「サイコー」と呼ばれている。

    絵を描くのは、上手い。授業中には、よくノートに絵をラクガキしていたりする。今日は、好意をよせている女の子(亜豆美保)の顔を描いていた。

    その放課後サイコーは、忘れ物のノートを取りに学校に戻る。その放課後の教室にいたのが、高木秋人(彼は、のちにサイコーから「シュージン」と呼ばれることになる)。

    シュージンは、サイコーのノートを見たらしい。亜豆の顔が描かれているノートを。当然のことながら、サイコーが好きな女の子が亜豆だとバレてしまう。

    そんなときシュウジンがサイコーに、こんなことを言う。

    • シュージン「俺と組んで
    • マンガ家になってくれ」


    とのこと。漫画のうちで、サイコーが絵(作画)の担当。そしてシュージンは、ストーリー担当。というように、2人で分担して漫画をつくろうというわけ。シュウジンは、サイコーが描く絵に惹かれたといえます。

    しかし、それには気が乗らないサイコー。そこが引用のシーン。
    恋は恋
    マンガはマンガ

    さて、ここが「首尾同語」の使われているところです。

    見てのとおり、文の最初と終わりとが、同じ単語になっています。これが、「首尾同語」というわけです。

    あと。
    ちょっと踏みこんだ内容を、このページの最後にある【余談】に書いておきました。
  • 例文を見るその2)
  • 『ヘイビィ★LOVE』1巻38ページ(椎名あゆみ/集英社 りぼんマスコットコミックス)
    • 小春「な…なんだよ おまえ!
    • 急に態度 変えてんじゃねーぞ
    • ぶ…ぶりっこ してたんだな」
    • せあら「ぶりっこなんて
    • してないもーん ただ…
    • 『目には目を 歯には歯を』
    • 好意には好意
    • 悪意には悪意
    • そーいう性格なだけ」




    次の例文は、『ベイビィ★LOVE』1巻。

    主人公は有須川せあら。子どもの頃、瀬戸柊平という男の子に一目惚れをする。が、「チビスケ」と一蹴されてしまう。

    --それから4年後。

    「せあら」は、小学6年生になり、背も高くなった。「小学6年生」と聞いて、柊平は「うそだろ!?」と言うほどになった。

    で、たぶん「せあら」の父親と、柊平の父親は同じ会社に勤めているのでしょう。「せあら」は有須川部長の娘で、部長はアメリカ勤務に転勤になっていることを、瀬戸家の人は知っていた。だから、柊平の父が、
    • 「よろしかったら せあらちゃん
    • うちでお預かり しましょうか?」

    と言ってくれた。そんなわけで、「せあら」は柊平一家に居候することになった。

    しかし、同じ部屋に「せあら」が来ることになってしまった、柊平の妹の小春は、とっても不満。
    • 小春「言っとくけど あたしは同居に
    • 賛成なんか して ないんだからね
    • 自分のわがままで
    • 人に迷惑かけてんのが
    • わかんないの?
    • さっさと ででいかないなら
    • どんな手 使ってでも
    • ぜ--ったい
    • 追い出してやるからな」
    • せあら「小春は…あたしの
    • 敵にまわるんだ」
    • 小春「誰が 呼びすてに
    • していいって…」「!」
    • せあら「じゃあ あたしは
    • どんな手を 使ってでも
    • この家に居座ってやるわ まっ どーせ
    • あんたの発言権なんて
    • この家じゃ ないに
    • 等しいみたいだけど」
    (36〜37ページ)


    と、「せあら」の態度が豹変する。

    この続きが、引用の場面。
    好意には好意
    悪意には悪意

    というのが出てきます。これが「首尾同語」にあたります。見てのとおり、「好意」という言葉で始まった文が、「好意」という言葉で終わりになる。「悪意」のほうも同じことがいえます。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1「首尾同語」と「トートロジー」との関係
  • 「首尾同語」が「トートロジー」に当てはまるモノ。これに対して当てはまらないモノ。それぞれ見てみます。

  • 深く知るa「首尾同語」が、同時に「トートロジー」にも当てはまる例
  • 最初のほうに例文として、
    • 「人は人」
    • 「自分は自分」
    • 「安物は安物」

    といったものを書きました。じつは、これは「 トートロジー」(もしくは「 異義復言」)にも当てはまります。

    「首尾同語」は、「AはA」という形になることが多くなります。これは、目的語や補語が文章の終わりに来ないという日本語の性質によるものです。ですので多くのばあいは、「首尾同語」であると同時に、「 トートロジー」(もしくは「 異義復言」)にも該当します。

  • 深く知るb「首尾同語」が「トートロジー」には当てはまらない例
  • しかし、必ずしも「AはA」という形であらわれるとは限りません。たしかに数としては少ないですが、ちゃんと違ったかたちのものも用意されています。

    これはアニメの話になりますが、『カードキャプターさくら』のそれぞれの話のタイトルのうちで、

    • 第25話 「さくらともう一人のさくら
    • 第40話 「さくらと夢の中のさくら
    • 第55話 「さくらと不思議の国のさくら

    の3つは、「さくら」という言葉が「首尾同語」となっています。ですが、見ての通り「AはA」という形をとっているわけではありません。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 首尾同語
  • 呼び方1
  • 首尾反復・頭尾重複法・首句末尾反復
  • 参考資料
  • ●『シェイクスピアのレトリック』(梅田倍男/英宝社)
  • 「首尾同語」について、多くのことが書いてある本は、ほとんど見あたりません。しいていえば、この本になると思います。
  • 余談

  • 余談1「恋は恋、マンガはマンガ」という〈トリック〉
  • 『バクマン。』について、案ずるに。

    「恋」についてサイコーは、好きな女の子が誰だかを知られてしまっている。だから、「恋」について一緒にがんばろうとのシュージンのセリフも、納得できる部分はある。

    しかし、そこに「マンガはマンガ」というのが、くっついてきている。これは、よく考えるとおかしい。まったく別々のはずの「恋」と「マンガ」とが、あたかもセットのように使われているのです。

    「恋」にかんして協力することと、「マンガ」についてチカラを合わせようということは、つながりがない。その証拠に、「恋」にだけ協力して、「マンガ」について手は結ばないということもできる。「マンガ」だけを分担してつくるけれども、「恋」については無関心ということもありえる。

    だがしかし。
    ここで、「恋」というテーマと「マンガ」というテーマが、結びつけられている。サイコーの気持ちを少しずつ「マンガ」へと寄せてやろう。そういったシュージンの、もくろみだといえます。

    言いかえればこれは、シュージンがレトリックを使うことで生み出した〈トリック〉だ、といえます。このように、しばしばレトリックは〈トリック〉を仕かけるのに使われます。

    そういったわけでレトリックの評判は、かんばしくありません。それは、はるか昔から。往古から。具体的には、紀元前5世紀にギリシャでレトリックが生まれてから、ずっと。