愛称語:名前を親しく呼び合う
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愛称語 あいしょうご hypocoristic

『ひとひら』1巻83〜84ページ(桐原いづみ/双葉社 ACTION COMICS)
  • 野乃「…もう少し
  • 声を大きくした方が いいわね」
  • 理咲「まずは口を
  • 大きく開ける事… かな」
  • 麦「は はい」
  • ちとせ「ねぇ麦チョコ
  • どうかしたの?」
  • 理咲「麦チョコ…?
  • もしかして麦の事
  • 言ってるの?」
  • ちとせ「うん 体調でも
  • 悪いの?
  • 全然 声出て
  • ないじゃない」
-『ひとひら』1巻83〜84ページ(桐原いづみ/双葉社 ACTION COMICS)
  • 定義重要度2
  • 愛称語は、相手を呼ぶときに名前を短くしたり、名前に「〜ちゃん」をつけたりするものです。呼んだ相手と仲がよかったり、親しいことをあらわします。

  • 効果

  • 効果1親しいことをあらわす

  • 「愛称語」が使われる間柄というのは、一般的に仲がいいものだといえます。とくに多く使われる間柄は、家族だったり、友だち同士だったりするときです。
  • キーワード:親しい、近しい、気安い、遠慮ない、気が置けない、なかよし、親愛、親密、懇意、幼なじみ、和気あいあい

  • 効果2年齢が同じくらいだということあらわす

  • 自分と同じくらいの年齢のばあいや、自分よりも年下のばあいに使われます。とくに年下にたいして使うばあいには、「いとおしむ」といった感情を持っていることも多くあります。
  • キーワード:愛する、かわいがる、いとおしむ、慈しむ、愛でる、愛着

  • 効果3あだ名として使うことができる

  • 「愛称語」は、あだ名を作るために使われることが多くあります。これは、「愛称語」の使われる間柄が「親しい」関係であるためです。
  • キーワード:あだ名、愛称語

  • 効果4愛しあっている関係をあらわす

  • 恋愛関係のばあい。つまり、お互いが愛しあっているばあいに使われます。これも、「愛称語」が「親しい」関係のあいだで使われるためだといえます。
  • キーワード:恋する、ほれる、見初める、ほれ込む、恋愛、愛情、恋慕、恋路、恋心、恋いこがれる
  • 使い方
  • 使い方1名前に「〜ちゃん」などをつける<

  • 「〜ちゃん」のような「指小辞」といわれるものを、名前につける。
  • 使い方2名前を短くしてよぶ

  • 本名の一部を省略して、短くする。
  • 使い方3上の2つを合わせたもの

  • 名前の一部を短くしたあとで、「〜ちゃん」のようなことばをつける。
  • 注意

  • 注意1バカにした言いかたになることがある

  • 「愛称語」で呼んだばあい、相手を見下した言いかたになることがあります。これは、「愛称語」が持っている性質に原因があります。もともと「愛称語」を使う相手は、自分と同じくらい年齢だったり、もしくは自分よりも年下だったりするばあいが、ほとんどです。なので、そのような人間関係でないときに使うと、「愛称語」を使った相手のことを低く見ていると受けとられることがあります。
  • キーワード:あざわらう、あざける、嘲笑、冷笑、憫笑

  • 注意2親しいことを強制することになる

  • これは、親しくもないのに「愛称語」を使うことから起こるものです。どういうことかというと、実際には「ある程度の距離がある」人間関係がある。それにもかかわらず「愛称語」を使う。その結果、「自分と相手とが、親しいものである」というキモチを強制することになるのです。
  • 例文を見る)
  • 引用は、『ひとひら』1巻からです。
    アニメ放送も終わったことだし、ていねいにストーリーを追って書いてみます。とはいっても、ほんとうにストーリーの最初のところからの引用なのですけれども。

    で。
    主人公は、麻井麦。

    「麦」は、中学を卒業して新入生となる。そして、ひょんなことから「演劇研究会」という活動の入部届にサインをする。

    だが。
    じつは「麦」は、極度のあがり症。いつもは大丈夫なんだけど、人の目を気にして緊張したとたんに声が出なくなる。「演劇研究会」の入部届にサインしたのも、ほんとうは、
    これを書いたら
    逃げられるよね (33ページ)
    と思っただけ。何人もの「演劇研究会」のメンバーが、みんなで勧誘してくる。だから、その視線がこわくて、ただ逃げるためにサインをしただけ。

    とまあ。
    「麦」の性格は、このような消極的なもの。こんな引っこみ思案な性格で、ほんとうに「演劇研究会」の活動についていくことが出きるのか。

    そういうわけで、思ったとおりダメな感じが出てしまっているのが、引用したシーン。「もう少し声を大きくした方がいいわね」とか、言われています。

    なのですが、このシーンを「愛称語」の例としたのは、そういった「麦」と「演劇研究会」との関係についてのものではありません。
    「麦」と同じ1年生の「神奈ちとせ」が、「麦」のことを、
    麦チョコ
    と呼んでいるところに注目しました。

    むかし「麦チョコ」というお菓子が売っていました。今ではスーパーのようなところでは見かけなくなりましたが、おいしいお菓子です。なので「ちとせ」は、「麦」という名前から「麦チョコ」というお菓子を連想したのだと思います。

    そういうこともあるので。
    たしかに「〜チョコ」という語を「接尾辞」と考えるのには、やや無理があります。ですが、名前のうしろに何かことばをくっつけることによって、おたがい仲のよい感じを出す。そういった「愛称語」の役目とは、同じものだと思います。

    ですので、このシーンを「愛称語」の例としておきます。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1愛称語の作りかた
  • 上にもちょっと書きましたが、「愛称語」の作りかたとしては、つぎのようのなものがあります。
    • 「〜ちゃん」のような「指小辞」といわれる語をつける


    • 名前の一部を省略して短くする


    • [1.]と[2.]のを合わせたもの
      —名前の一部を短くしたあとで、「〜ちゃん」のようなことば(指小辞)をつける
    で。「〜ちゃん」のような「指小辞」としては、ほかに、
    • 英語の「wikipedia」にある「Hypocoristic」に書いてあったものには、「〜ちゃん」のほかに「〜たん」「〜っぴ」(もしくは「〜ピー」)


    • 日本の「ウィキペディア」にある「たん(接尾語)」に書いてあったものには、「〜たん」のほかに「〜きゅん」
    といったものがありました。なので、こういったものも「愛称語」を作るパーツになることばだといえます。

    『ひとひら』の登場人物でいえば、つぎのように当てはめることができます。

    3年生の「理咲」は、主人公の「麦」のことを、
    麦ちゃん
    と呼んでいます。名前のうしろに「〜ちゃん」ということばをつけているので、ごくふつうの「愛称語」です。

    また「ちとせ」は、とある事件によって「オリジナル」と呼ばれることになり、さらにはそれが縮まって、
    オリナル
    で通用するようになりました。このばあいには、途中の「ジ」という音が抜けてしまったといえます。ですので、名前の一部を省略して短くしたものだと考えることもできます。まあ「愛称語」というのは、本名を短くしていなければいけない気がしますが。

  • 深く知る2「愛称語」と「換喩」との関係
  • 「愛称語」というものが、本名を短くしていなければいけない気がするという理由。それは、「 換喩」というレトリックがあるからです。「 換喩」というのは、かんたんに言えば、(その人の)特徴となっている部分に注目するというものです。

    たしかに「ニックネーム」や「あだ名」を作る方法は、「愛称語」と「 換喩」だけに限られるわけではありません。「 隠喩」とか「 提喩」とかを使った「あだ名」というのも、ちゃんとあります。

    たとえば、『ラブ★コン』(中原アヤ/集英社 マーガレットコミックス)に登場する「小泉」と「大谷」。2人を「オール阪神巨人」と呼ぶのは、「 隠喩」を使った「あだ名」です。

    けれども。
    ほとんどの「あだ名」は、「愛称語」か「 換喩」のどちらかを使ったものになります。

  • 深く知る3「愛称語」と「換喩」との関係その2
  • 『ながされて藍蘭島』1巻12ページ(藤代健/スクウェア・エニックス ガンガンコミックス)
    • (プカッ)
    • すず「待っててねー
    • とんかつ
    • 今おいっしい
    • ごちそう
    • 釣ったげるね♡」
    • とんかつ(ぷ〉
    • アスナ「ゆうべは
    • 嵐だったからね
    • きっと すっごいのが…」
    • 「やった!!
    • さっそく
    • あたりィ!!」
    • とんかつ(ぷー)


  • 右の画像は、『ながされて藍蘭島』1巻から。ここに、「ブタ」みたいなキャラクターが出てきています。ここでは、この「ブタ」っぽいキャラの「呼ばれかた」に注目してみます。すると、
    とんかつ
    と呼ばれています。

    これは、「あだ名」というよりも「本名」のような気がします。それはともかく、この「ブタ型」のペット(?)は、
    とんかつ
    というネーミングです。

    さて。
    これが、ほんとうに 「 換喩」の例といえるか。そのことを確認してみます。

    まず。どうして「とんかつ」と呼ばれるようになったのか。つまり、たとえる「理由」というか「原因」を考えてみる。すると、このペット(?)は、「ブタに似ているから」というものです。

    つぎに。たとえられた結果、呼ばれるようになったネーミングをみてみる。これは、さきほどから書いているように「とんかつ」というものです。

    このことから。「ブタに似ている」ことと「名前が とんかつ」だということとの結びつきかたを、見ていくことになります。

    すると。この結びつきは、アタマの中で関係があると思いうかべるような関係にあるといえます。ですので、「 換喩」だということになります。

    なお。もしも昔からある「 換喩」の考えかたに、照らし合わせてみると。これは、「結果で原因」をあらわすタイプの「 換喩」となります。

    そういったわけで。右の画像のものは、「 換喩」で名づけられたものだということができます。

    ほかにも。藍蘭島にすんでいる「ニワトリ」っぽいヤツ。これには「からあげ」という名前がつけられています。これも、「 換喩」です。「とんかつ」のネーミングと同じ流れで、考えることができます。

    ほかにある、「 換喩」」の例としては。
    • 『かみちゃまかりん』の「○○メガネっ子(烏丸キリオ)」
    • →「メガネをかけている」+いつも何か違う「○○」というオプションがあるから。


    • 『アイドルマスター XENOGLOSSIA』の「おでこサンシャイン(水瀬いおり)」
    • →おでこがピカっているから。(ついでに、「バカリボン」「コスプレ芸人」もつけ加えておこう)
    などなど。なんだか私(サイト作成者)が思いつくものが、かたよっている気がするけれども放っておこう。

    こういった「 換喩」を使った「あだ名」は、たしかにその人の特徴となっているポイントに着目していることは間違いない。だけれども、ことばを本名につけ加えたり、逆に一部を省略しているわけではない。

    それにたいして「愛称語」は、あくまで本人の名前に「〜ちゃん」のようなことばをプラスしたり、もしくは名前の一部を削ったりする。

    そういったわけで、「 換喩」と「愛称語」とでは、「あだ名」の作られかたが違うわけです。

    このように整理して考えると。
    オリナル
    という「あだ名」の元になった、
    オリジナル
    ということばは、「ちとせ」本人のした行動がもとになって付けられた「ニックネーム」です。ネタバレがあるので具体的なことは書きませんが、とにかく「ちとせ」が行ったあることに由来するものです。とすると、「 換喩」と考えなければならないとかなあという気がします。

  • 深く知る4洗礼名によって「愛称語」を作ること
  • じつをいうと。
    ヨーロッパでいう「愛称語」というのは。ここまで書いてきたものとは、すこし違ったものです。

    じゃあ、ヨーロッパの「愛称語」というのが、どんなものかというと。与えられた「洗礼名」をもとにして、それを短くしたり後ろに“-y”のようなものをつける。基本的には、そういったものです。

    そして、だいじなこと。それはなにかというと、「洗礼名」というのは「レパートリー」が限られているということです。つまり、そもそも決まったような「洗礼名」だけしか、存在しないという点がポイントとなります。

    そんなふうに「洗礼名」のパターンが、決まったものばかりだった。で、「愛称語」というものが「洗礼名」にもとづいてつけることになっているため、「愛称語」についても決まったパターンができました。

    たとえば、
    • “Henrietta”という「洗礼名」が与えられた。
    •   ↓
    • “Henrietta”には、「Hatty」とか「Henny」とか「Henri」といった、
    • 「愛称語」のパターンがある。
    •   ↓
    • じゃあ、今回つける「愛称語」は「Hatty」にしよう。
    といった感じです。

    ですが。
    日本では、「洗礼名」を受ける人は少ない。なので、上に書いたような「洗礼名」から「愛称語」をつけるのも少ない。その結果として、ヨーロッパっぽい「愛称語」をつけることが、ほとんど無理なのです。

    そういったわけで。ヨーロッパでいう「愛称語」というレトリックを、日本語で使うためには。少し「愛称語」の定義をずらす、ことになるわけです。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 愛称語・愛称
  • 呼び方2
  • 親愛語
  • 参考資料
  • ●『現代言語学辞典』(田中春美[編集主幹]/成美堂)
  • 日本語では、どのように「愛称語」が作られるか。つまり、外国語のものだけでなく、日本語の「愛称語」についても書かれている、めずらしい本。
  • 余談

  • 余談1「〜チョコ」ってことば、「指小辞」なんですか?
  • このページでは「愛称語」の例として、「麦チョコ」というものを採用しました。つまり、名前の「麦」に「〜チョコ」ということばがプラスされているから「愛称語」だとしたわけです。

    ですが。
    ここには、重要な問題がかくされています。それは、
    そもそも「〜チョコ」ということばは、「指小辞」なのか
    ということです。何度か書いていますが「愛称語」というのは、名前に「指小辞」がくっついていなければいけないのです。「〜ちゃん」といったような「指小辞」をくっつけることによって、はじめて「愛称語」となるのです。

    そこで。この「〜チョコ」ということばが、はたして「指小辞」といえるのかということが問題となってくるのです。

    結論から先に書くと、
    これからは「〜チョコ」の時代(?)
    という、ちょっとヘンなものになります。

    なにが言いたいのかというと。
    「〜タン」が流行したように、これからは「〜チョコ」を広まらせようという、このサイトの陰謀です。文法的にいえば、「〜チョコ」を「指小辞」にしてしまおうというわけです。

    これについての反論としては、たとえば、
    「指小辞」は、ことばとして単独では使うことのできない「接尾辞(接辞)」でなければならない
    というものが考えられます。たしかに理論としては、そのとおりです。ですが、ここでは、
    「〜チョコ」ということばを「品詞転換」して、「接尾辞」としても使うことのできる可能性は十分にある
    としておきます。

    くわしい語源を調べたわけではないのですが。おそらく、「愛称語」を作る「指小辞」の「〜くん」ということば。これはもともと、敬意をあらわす名詞であったのだろうと推測できます。これと同じようなコースで、「〜チョコ」を「指小辞」としていくことはできると思います。

    まあ。
    レトリックをやっていると、だんだん、「品詞」なんていうものはコロコロと変化するものだという感じをもつものです。それこそ、「品詞転換」というレトリック用語があるくらいなんだから。

    それに、音の感じ(音象徴)という点を見ても。「ちょこっと」とか「ちょこちょこ」とかいったようなことばに似たイメージを、引きだすことができます。つまり、親しい感じであるとか、仲がよい感じというものをあらわすことはできると思うのです。

    そんなわけで、ここに、
    「〜チョコ」を広まらせようの会
    をつつましく立ち上げておきます。 「む、無理です…」 by麦チョコ。

  • 余談2シャチから「サシミ」は作れるか
  • こちらは、『ながされて藍蘭島』についてのコメントです。

    すず。彼女がネーミングすると、ブタ(?)に「とんかつ」になりました。ニワトリ(?)は「からあげ」にされてしまいました。

    でも、「シャチ(?)」にたいしては、ちょっとヘンな名前をつけられています。
    どういうものかというと。シャチ(?)にたいしては、
    サシミ
    このネーミング。レトリックでは、カンタンに説明することができません。

    どういうことかというと。レトリックの理屈どおりに考えれば、
    • もしも「シャチ」=「刺身にできる(食べられるもの)」
    • ならば →「 換喩

    • もしも「シャチ」=「刺身にできない(食べられないもの)」
    • ならば →「 隠喩
    という、なんとも奇妙なことになりまねません。ですので、どちらなのかをすぐに決めることはできません。

    「シャチ」は刺身にできるのか。「シャチ」は食べられるのか。「シャチ」が食べられるのかどうかを知っているヒトがどれほどいるか。「シャチ」を食べる習慣が日本にあるのか。「シャチ」を食べたいと思う人がどれだけいるか。「シャチ」は日本の海にどれだけ住んでいるのか。「シャチ」は絶滅危惧だけれども食べても怒られないか。……など。

    このように考えると。「シャチ」を使って刺身をつくることができるか。そんな、ほとんどのヒトが首をかしげるような基準で。「 隠喩
なのか「 換喩」なのかといったことを決めるのは、かなり難問です。

ちなみに。私(サイト作成者)は「 換喩」だと考えます。つまり科学的にみて「食べてOK」なのかということは、レトリックにとってあまり関係がない。それよりもむしろ、「シャチ」ということばと「海に住んでいる」という状況がたいせつだと思うのです。

いいかたをかえれば。
「シャチ」と「サシミ」という、2つの単語があつまったときに。

  • 「シャチ」は海に住んでいる
  • 海に住んでいるものは、たいてい刺身にできる
  • じゃあ「シャチ」も、刺身になるのかもしれない
という考えが連想される。

そう。
「シャチ」と「刺身」とは結びつきがある。そのように、アタマで思い浮かべることができるのであれば。十分に「換喩」といえると考えるわけです。

たとえ。その連想が、「たいてい」だとか「かもしれない」とかいう、あいまいなものだとしても。また、論理学的に見て「三段論法」ということができないような、そんな理論立てだとしても。その2つが、「関わりあいのある単語だ」とアタマの中で気がつくこと。それができれば、「 換喩」といえると思うのです。

…まあ。「 隠喩」なのか、それとも「 換喩」なのか。それが決まったとしても、だから何になるというわけでもないのですが。