


で書いた、「1.」〜「4.」のうちで。「3.引用性」についてだけは、やっかいな問題があります。「皮肉を言われているヒトが、皮肉だということをキャッチする」ということ。この部分だけは、「皮肉を言われている相手」に任されているのです。そういったことから多くのばあい、皮肉なんだということを「あからさまに」示すために「目印」をつけます。このページでは書ききれないので、「
反語的讃辞」のページに書いておきました。(〈皮肉の「しるし」〉=専門用語でいう「反語信号」の問題。)

“やや広い意味”でもって「皮肉法」を定義したばあいと、つぎに書く
“せまい意味”で「皮肉法」を定義したばあいで、違いが出るもの。それは、「相手をほめるつもりで、表面的には相手をけなした表現を使う」ばあいです。
“やや広い意味”での「皮肉法」といえます。この「彼」という人間について「悪い人」だと思って発言しているのでなければ、逆のことを言っていることになるからです。ですが、
“せまい意味”には、当てはまりません。なぜなら、
“せまい意味”では、「相手を攻撃するばあい」に限って「皮肉法」としているからです。
“やや広い意味”説は有力なものです。しかし、
には大きな欠点があります。それは、「実際のところ、あまり使われない」ということです。
“せまい意味”というパターンで「皮肉法」を定義するばあい。つまり、
“せまい意味”での「皮肉法」。これは、よく用いられるものです。たとえば、[[dvsq「おりこうですね」
“せまい意味”での「皮肉法」だということになります。
“やや広い意味”だとか、
“せまい意味”だとかいった説がある。ようするに、「皮肉法」ちっとも論議がまとまらないません。
“いちばん広い意味”での「皮肉法」のことを「皮肉法」を定義した場合。
“やや広い意味”での「皮肉法」のことを「皮肉法」と定義した場合。
“せまい意味”での「皮肉法」のことを「皮肉法」と定義した場合。
“いちばん広い意味”での「皮肉法」を、「皮肉法」の定義として採用したばあい。人を攻撃する書きかた・話しかたは、全部が「皮肉法」ということになります。
“いちばん広い意味”での「皮肉法」には、下位分類に、たくさんのレトリックが並べられることになります。
“いちばん広い意味”での「皮肉法」には、さらに下位分類として、

の3つでは、とうてい収まりません。なので、このサイトでは省略しておきます。
