トートロジー:同じことばをまったく同じ意味でくり返す
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トートロジー とーとろじー tautology

『貧乏姉妹物語』1巻88ページ(かずといずみ/小学館 サンデーGXコミックス)
お姉ちゃんは
誰の代わりでも
ないよ。

お姉ちゃんは
お姉ちゃんなんだから、
そのままでいて。
-『貧乏姉妹物語』1巻88ページ(かずといずみ/小学館 サンデーGXコミックス)
  • 定義重要度5
  • トートロジーは、まったく同じことばを、まったく同じ意味でくり返すレトリックです。それでいて、なおかつ意味をなす表現法です。

  • 効果

  • 効果1相手が気がつかないことに、関心を向けさせる

  • 「トートロジー」では、(少なくとも表面上は)同じ単語が、くり返されることになります。ですので、くり返されたことばを強く印象づけることができます。
  • キーワード:失念、忘れる、忘却、気づかない、関心、興味、好奇、喚起、思いかえす、思い起こす、呼び起こす、想起

  • 効果2くり返しが、真意を伝えることに役立つ

  • くり返されることによって、その言葉の真意を伝える効果もあります。また、いままでの慣習を再確認させることもできます。
  • キーワード:くり返す、重ねる、重なる、たび重なる、重複、ダブる、真意、本意、再確認

  • 効果3勘違いを厳しく非難し、反省をうながす

  • 「トートロジー」が、相手を攻撃するときに用いられたばあい。その時には、強い批判・非難をあらわすことになります。
  • キーワード:批判、批評、非難、とがめる、追及、注意、忠告、忠言、いましめる、いましめ、いさめる

  • 効果4実は、日常の生活でもよく使われている

  • 「トートロジー」なんていうレトリック用語を使っていると、もしかしたら身近にはないものだと思うかもしれません。ですが、普段の生活を「トートロジー」というレトリックを意識しながら暮らしてみてください。意外と(意識せずに)使われていたりするものです。
  • キーワード:日常生活、しょっちゅう、平常、通常、いつも
  • 使い方
  • 使い方1「AはA]というカタチをとる

  • カタチの上で「トートロジー」は、基本的には「AはAだ」というものになります。この一見すると何の意味も成さなそうなフレーズが意味をもって使われる。それが「トートロジー」です。
  • 例文を見る)
  • 例文は『貧乏姉妹物語』1巻から。

    メインキャストは、姉の「きょう」と妹の「あす」。

    「きょう」は15歳の中学生。「あす」は9歳の小学生。だが姉妹は、2人だけで暮らしている。母は「あす」が生まれた年に亡くなってしまい、父は借金をつくって蒸発してしまったから。

    なお生活費は「きょう」が新聞配達などのバイトをして、なんとかしている。「数年前に法律が変わり、中学生以上から大人と同様に働けるようになった」(17ページ)とのことです。なお余談として、現在の法律では原則として中学生が働くことができないのは、労働基準法第56条のとおりです。

    それはそれとして。

    今回は、「あす」の小学校で「授業参観」があるというお話。姉の「きょう」は、なんとかして妹の「あす」の授業参観に行きたいと考えている。というのも姉の「きょう」には、自分自身が小学生のころの授業参観にだれも来てくれなかったという悲しい思い出があったから。

    そこで「きょう」は、おめかしをしてみる。授業参観のある前の日に、アパートのとなりに住んでいる、通称「お隣さん」の女性にお願いをする。そして、スーツを貸してもらったうえに、香水をふりかけてもらったりして、すっかりお化粧までした。

    そして妹の「あす」にきいてみた。
    • 「お隣のお姉さんに借りたの。」
    • 「これでお母さんの代わりになれるかな!」
    というふうに。

    しかし「あす」の返事は、そっけないものだった。
    • 「お姉ちゃん、
    • 無理して授業参観に来ないで…」
    そして、その晩。お風呂に入ると、あたりまえだが香水のニオイは落ちてしまった。

    でもそこで妹の「あす」が、こんなふうに言う。
    • 「よかった!
    • いつものお姉ちゃんの匂いだ。」
    そして、それに続けて話しているのが引用のシーンです。
    • お姉ちゃんは
    • 誰の代わりでも
    • ないよ。

    • お姉ちゃんは
    • お姉ちゃんなんだから、
    • そのままでいて。
    ここで「トートロジー」が出てきます。「お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだから」というのが、それに当たります。

    もちろん一見すると、ヘンな文ではあります。だって、「お姉ちゃん」が「お姉ちゃん」なのは当然なんだから。「お隣さん」でも「大家さん」でもなく、「お姉ちゃん」なのは当たり前なのだから。

    でも、ここまでのストーリーを読んでいれば、そこに隠れている意味は分かります。ここでの意味は、だいたい「お姉ちゃんはお母さんの代わりではなくお姉ちゃんなんだから」というようなことでしょう。そこには、「いつものお姉ちゃん」でいてほしい、「そのまま」でいてほしいという、「あす」の気持ちを感じることができます。

    だからこそ、ここで「トートロジー」が成り立つのです。「AはAである」という、無意味になりそうなかたちの文でありながら、なおかつ意味を読み解くことができる。そういったところで、「トートロジー」というレトリックが光るのです。

    なお。
    ストーリーのネタバレが多くて、もうしわけありません。でもこれは、「トートロジー」を説明するという都合からは仕方のないことなのです。なぜなら、「トートロジー」が使われるまでの話の流れがつかめないと、「トートロジー」を使って表現しようとしていることが理解できないからです。
  • 例文を見るその2)
  • 『けいおん!highschool』22ページ(かきふらい/芳文社 マンガタイムきららコミックス)
    • 梓(あずにゃん)「あ…
    • もしもし 今
    • 大丈夫ですか?」
    • 唯先輩(電話先)「やっほーあずにゃん
    • どうしたのー?」
    • 「部員が思ったように
    • 集まらなくて…
    • 唯先輩にコツ教えて
    • もらおうと思って…」
    • 唯先輩「えー? コツって言っても
    • 何もやってなかったしー」
    • 「あずにゃんはあずにゃんの
    • やりたいようにやれば
    • いいんだよー」
    • 梓(私のやりたいように…)
    • 「やっぱり唯先輩は
    • 唯先輩ですね!」
    • 唯先輩「えー! 何それ!」


    すぐ右に引用した画像は、『けいおん!higjschool』から。

    主人公は、あずにゃん(中島梓)。その電話の相手となっているのが、唯先輩。

    ここは、軽音部。3年生だった唯たちは大学へと進学し、卒業する。そして新しく3年生になった梓が、軽音部の部長となる。

    そんな軽音部には、頭を悩ませる問題があった。それは、
    • 「クラブ活動として認められるためには、
    • あと1人部員を集めなければならない」
    ということ。別の言いかたをすれば、
    • 「あと1人部員が増えないと、
    • 軽音部は廃部になる」
    ということ。難題だった。

    そこで梓(あずにゃん)は、考えた。唯先輩に聞けば、何かアドバイスをもらえるのではないかと。

    そういった流れで、梓(あずにゃん)は唯先輩に電話をかける。ここが、右に引用したシーンです。

    梓は唯先輩から、役に立つようなコツを聞き出すことはできなかったようです。

    そんなわけで、ひとこと。
    • 「やっぱり唯先輩は
    • 唯先輩ですね!」
    こちらでも、同じように「トートロジー」を見つけることができます。

    唯先輩が唯先輩なのは、間違いがない。だから、カタチだけを見れば、意味が成りたたなくなるはずです。

    けれども、ここに何らかの意味を見つけ出すことができる。「トートロジー」というのは、そういうレトリックです。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1「トートロジー」の基本的な考えかた
  • たとえば、
    • 「自転車は自転車である」
    • 「野球は野球である」
    • 「シイタケはシイタケである」
    などといった文を読んでみる。すると、いかにも無意味なため意味不明な文章になってしまいます。ふつう、「AはAである」という文章は、当然すぎて、無意味な文になってしまうのです。

    ですが、そのような「AはAである」ということばを使って、しかもなおかつ意味をもつ文を作ることができます。それが、「トートロジー」になります。

  • 深く知る2「トートロジー」の呼びかた
  • 「トートロジー」は、「同語反復」とか「同義循環」とも呼ばれます。ですが、「同語反復」というネーミングについて、『レトリックの意味論—意味の弾性—(講談社学術文庫 1228)』(佐藤信夫/講談社)には、次のようなことが書いてあります。

    「同語反復」という呼びかたをすると、
    • どちらかと言えばただ語句を重ねる
    • ——「そこのけそこのけ御馬が通る」——
    • のような典型的な同語の反復と
    • まぎらわしいからという取るに足らぬ理由で、
    • 《同語反復》という訳語はさけておきたい。
    とのことです。

    それに習ってこのサイトでも、項目名を「同語反復」と呼ぶのは避けておきます。そして、「トートロジー」と呼んでおくことにします。

  • 深く知る3「トートロジー」の形式

  • 深く知るa「トートロジー」の典型的なパターン
  • 「トートロジー」には、パターンとして、
    • 「AはA」
    • (ex.子どもは子どもだ)
    • 「AかAではないか(のどちらか)」
    • (ex.彼は来るかも知れないし来ないかも知れない)
    • 「AならばA」
    • (ex.負けたのなら負けたのだ)
    • 「AのときはA」
    • (ex.やるときはやる)
    • 「AだからA」
    • (ex.好きだから好き)
    • 「AなものはA」
    • (ex.いいものはいい)
    といったものが、『認識のレトリック』(瀬戸賢一/海鳴社)では挙げられています。

    いちばん典型的なのは、『「すき。だからすき」』(CLAMP/角川書店あすかコミックス)のタイトル。
    「すき。だからすき」
    というもの。これは、上に並べた形式でいえば、「AだからA」というところに分類されます。典型的な「トートロジー」です。

  • 深く知るb「トートロジー」の典型的ではないパターン
  • 『絶園のテンペスト』1巻16ページ(城平京[原作]・左有秀[構成]・彩崎廉[作画]/スクウェア・エニックス ガンガンコミックス)
    • 先生「おう ご苦労さま」
    • 滝川「先生 プリント
    • まとめ終わって
    • ますよ」
    • 先生「悪かったな
    • 急に頼んで
    • …滝川
    • 不破からその後
    • 連絡もないのか?」
    • 滝川「…はい
    • でも真広の事は
    • 心配するだけ
    • 損です
    • まぁ
    • 死んでなければ
    • 生きてますよ
    • 先生「そんな 適当な…」


    これからあげようとしている例。これが、「トートロジー」にあてはまるものかどうかは、自信がありません。ですが、かなり気になったので書きとめておくことにします。

    引用した画像は、『絶園のテンペスト』1巻から。

    主人公は、滝川吉野(たきがわよしの)。そして、このシーンで話題にのぼっているのが、不破真広(ふわまひろ)。

    不破真広は、吉野の友達だった。けれども1ヶ月前に、学校に突然「退学届」を出して、そのままどこかへ消えてしまう。

    そこで先生は、友達だった吉野に聞いてみれば、真広のことが何か分かるのかも知れないと考える。そういったわけで吉野は、プリントのかたづけを任されることになった。

    けれども吉野も、真広が今どこにいるのか知らない。そこで、こんなふうに返事をする。
    • 死んでなければ
    • 生きてますよ
    と。

    これにたいして先生が「そんな適当な…」と言うのも、無理はありません。ですが、それはおいておくとします。

    ここでは、この吉野のセリフに注目してみることにします。

    まず人間は、「死んでいる」か「生きている」かのどちらかのはずです。そのため、「死んでいない」と「生きている」というのは、(少なくともカタチの上では)同じことを指し示しています。

    ですので、すぐ上のの項目であげているパターン分けでいうと、
    「AならばA」
    に当てはまります。「死んでいない」のならば「生きている」と。このように、「ならば」という単語をつかって、それぞれを結びつけることができます。

    したがって。この、
    • 死んでなければ
    • 生きてますよ
    というセリフ。これは、一見すると「トートロジー」ではなさそうです。けれども実際には、「トートロジー」と同じ役割を果たしているといえます。

    また、今回のように、人を小バカにしたような効果が導きだされていまう。このことからでも、「トートロジー」の典型です。このことからも、「トートロジー」だと考えることができます。

    なお、「同義循環」という用語を使うばあい。そのときには、ここで例としてあげたようなものを広く含むことがあります。

  • 深く知る4「トートロジー」と、ほかのレトリック用語との関係

  • 深く知るa「トートロジー」と「異義復言」との関係
  • この「トートロジー」は、「 異義復言」と近い関係にあります。

    異義復言」は、同じことばを違った意味でくり返すものです。しかし、どこまでを「同じ意味」として、どこからを「異なる意味」とするかについては、はっきりと区別することはできません。

    その意味で「トートロジー」と「 異義復言」とは、となりあった関係にあります。

    言い方をかえれば、次のように考えることもできます。

    「AはAだ。」という「トートロジー」の文章があるとします。これは一見すると、まったく同じ意味をくり返しているようにも見えます。ですが実際には、「A1はA2だ。」という意味だと考えられるのです。つまり、最初の「Aは」のAではA1の意味で使われ、次の「Aだ」のAではA2の意味で使われていると考えられるのです。

    このように、「トートロジー」は「まったく同じ意味」をくり返しているのではなく、微妙に異なった意味を表しているといえます。
      単語のかたち
    同じ違う
    意味同じトートロジー 類義累積(類義語累積法)
    違う 異義復言 類音反復・ジングル
    こちらについても、ご参照ください。

  • 深く知るb「トートロジー」と「畳語法」との関係
  • この「トートロジー」に似たもので、「 畳語」というものがあります。これは、同じ言葉が同時にいくつも連続して反復しているというレトリックです。

    くわしくは、そちらを参照して下さい。

  • 深く知るc「トートロジー」と「冗語法」との関係
  • 「トートロジー」は、「 冗語法」の一種ということができます。「 冗語法」と同じように「トートロジー」も、少し見ただけでは無意味なことばのくり返しだと考えることもできます。

  • 深く知る5「緩いカテゴリー」と「きついカテゴリー」
  • 例えば「飛ばなくても鳥は鳥だ。」というトートロジーを考えてみます。

    ここでいう「鳥」という言葉には、2つのとらえ方があるといえます。それは、「鳥」にはツバメやスズメのような典型的な鳥と、ダチョウやペンギンのような周辺的な鳥の2つです。このように、「鳥」という1つのことばも、実際には区別されていると考えることができるのです。

    いいかえれば。
    「鳥」ということばには、2種類の枠があるといえます。1つは、外側の枠である「緩いカテゴリー」、つまり「すべての鳥が入るカテゴリー」。もう1つは、内側の枠である「きついカテゴリー」、つまり「典型的な鳥が入るカテゴリー」。この2つが存在するといえるのです。

    そのように考えると、「飛ばなくても鳥は鳥だ」という表現は、「鳥」ということばにある2つの枠を使い分けているといえます。具体的に言えば、主部(「鳥は」)のほうには「きついカテゴリー」の意味で、「鳥」という言葉が使われている。これに対して、述部(「鳥だ」)のほうの「鳥」には「緩いカテゴリー」が使われている。と、このように見ることができるのです。

    以上のように考えると、「飛べなくても鳥は鳥だ」のように、一見すると「トートロジー」に思えるものであっても、実際には異なった意味で使われているといえることになります(このような理論は「 対義結合」でも同じ考え方ができます)。

    このように、言葉の意味は、元から伸縮性をもっているのです。このことから見ても、「トートロジー」と「 異義復言」とは隣接した関係にあるといえます。

  • 深く知る6「トートロジー」のもつ「さすがに〜」という意味
  • 「トートロジー」が「 異義復言」に近いという理論を書きました。ですが、そういう理論を使わずに、次のように説明する方法もあります。

    それは、「さすがに〜」という意味を持っているということです。つまり、ひとことでいえば「慣習的意味の再確認」です。

    言葉の意味は、常に変化を続けている。その意味が変化することに歯止めをかけて、国語辞典的な意味を再確認する。「トートロジー」は、このような役割も担っています。

    例えば、「一流ホテルは(さすがに)一流ホテルだ」「ベンツは(さすがに)ベンツだ」のような文。ここでは、もともと持っていたイメージを再確認することを目的として「トートロジー」が使われています。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • トートロジー
  • 呼び方4
  • 同語反復・同義循環
  • 呼び方1
  • 同義反復
  • 別の意味で使われるとき
  • ●論理学での「トートロジー」との違い
  • 上ののところで、
    • 「死んでいない(人間)」
    • =「生きている(人間)」
    だと書きました。人間は、「生きている」か「死んでいる」か、そのどちらかだからです。

    これを、論理記号を使って意味もなく難しく書くと、
    ¬¬A≡A (二重否定律)
    となります。そして、これは結局のところ、
    A≡A (トートロジー)
    ということです。あくまでカタチの上では。

    と、ここまで書いてきたことからも分かりますが。
    あくまで修辞学のいう「トートロジー」というのは、論理学のいう「トートロジー」とは異なります。

    論理学で扱った場合、「死んでいなくはない」と「生きている」というのは等価です。
    ですが修辞学では、「生きている」という表現と「死んでいなくはない」という表現は違うものだと扱います。

    「死んでいなくはない」という表現、修辞学では「二重否定」だと扱うことができます。「二重否定」ならば、強調や念押しなどの効果を生みだします。ですので、修辞学のいう「トートロジー」は、論理学のいう「トートロジー」では導きだすことのできないニュアンスを帯びるといえますます。

    まあ私(サイト作成者)は、論理学なんてよく知りません。なんか高校生くらいのときに勉強したような気もするのですが。なんか間違っているかもしれません。
  • 参考資料
  • ●『レトリック・記号etc.』(佐藤信夫/創知社)
  • 「トートロジー」について、深い考察がなされています。同じ著者の本として、『日本語のレトリック(講座 日本語の表現 5)』(中村明[編]/筑摩書房)があげられます。
  • ●『レトリック辞典』(野内良三/国書刊行会)
  • 基本的なことが、過不足なく書かれている本です。「トートロジー」に興味を持った人が、はじめに読んでみるとよいのではないか、と思います。
  • ●『ジョークとレトリックの語用論』(小泉保/大修館書店)
  • 「トートロジー」について、かなり鋭い内容が書かれています。
  • ●『レトリックの知—意味のアルケオロジーを求めて—』(瀬戸賢一/新曜社)
  • 「トートロジー」と「ことわざ」に関して、書かれています。同じ著者の本として、『認識のレトリック』(瀬戸賢一/海鳴社)もあげておきます。
  • ●『トートロジーの意味を構築する ――「意味」のない日常言語の意味論』(酒井智宏/くろしお出版)
  • 1冊まるごと、「トートロジー」について書かれた本です。難しい内容なので、私(サイト運営者)もシッカリと理解できていません。ですが少なくとも学問的には、理にかなった手法をとっているのは分かります。つまり、まず他説を示す。そのあとで、その説の弱点を批判する。その上で、自説が優れている点を述べる。…といった順を追って書かれているので、信頼に値する本だというのは感じました。