主辞内顕:あるべきはずの主語などが省略される
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主辞内顕
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主辞内顕
主辞内顕
しゅじないけん
missing subjects(?)
クラスメイトA「ほら! 最近
出る
って噂の
三丁目の病院!」
蘭世「え——っ あの廃墟の?
出る
の!?」
クラスメイトB「なー みんなで
見に 行こーぜ」」
クラスメイトC「よーし! 今夜12時
現地集合な!」
——ここ8コマ省略します——
(ギイ…)
クラスメイトD「こえ——…(汗)」
クラスメイトA「地下の 手術室前の
廊下に
出る
んだって」
クラスメイトE「亜論 おまえが先頭だ」
亜論「うげっ
うそだろっ」
-『ときめきミッドナイト』1巻9〜10ページ(池野恋/集英社 りぼんマスコットコミックス クッキー)
主辞内顕
は、本来あるべきはずの主語などが省略されるレトリックです。文脈から考えれば、主語は何のことだかハッキリ分かる。なので、言葉としては出さないということです。
感覚的や主観的なことを伝えるときに、使われることが多い
日本語の使い手ならば、多くのばあい主語を省略してハッキリ表現しないものです。感覚的なものや主観的なものを伝えるときには、さらにその度合いが濃くなります。
:感覚的、感じる、感じとる、感受、共感、主観的、考え、意見、情的
できるだけ、対象に視点を向けさせることができる
英語などでは、主語に名詞(・代名詞)を何度も使います。ですが日本語では、主語を明らかにしない文が、たびたび出てきます。この「主辞内顕」の性質を利用することで、今まで以上に話にとけ込んでいくことができます。
:視点、焦点、ピント、角度、観点、見地
主語を、ハッキリしたことばで言いあらわさない
主語を、ハッキリしたことばで言いあらわさない。これによって、主語があったとき以上に余韻のある文になります。
引用は『ときめきミッドナイト』1巻から。
主人公は江塔蘭世。ごくフツーの高校生。
ある日クラスメイトの中で、心霊現象が話題になった。どうも、廃墟の病院に「出る」らしい。というわけで、その「出る」といわれているものが本当に「出る」のかを確かめにいっているところです。
そして、この「出る」というのを「主辞内顕」と見ます。なぜならみんな、
“出る”
って噂の…
出る
の!?
出る
んだって
と、「出る」とだけしか言っていないのです。「何が」出るのか、つまり「主語」が抜け落ちてなくなっているわけです。
もちろん、この「出る」は、「幽霊が出る」または「オバケが出る」というようなことを指しています。それは、どんな読者が読んでも、ハッキリと分かります。
ついでに書けば、「言わないでおいたほうが、神秘性が高まる」というようなことが言えるかもしれません。
そんなわけで、クラスメイトたちは、みんな「出る」というだけで会話が進んでいます。
日本語に「主辞内顕」がある理由
ヨーロッパの言語は、ふつう主語が分かりきっていても代名詞を置きます。だけれども日本語では、そういった分かりきった主語については省略してしまいます。
そういった、主語を省略するという日本語にだけある作法を、「主辞内顕」といいます。
「主辞内顕」と欧米語との関係
この「主辞内顕」というレトリック用語は、小林英夫氏が名づけたものらしいです。『日本語レトリックの体系』には、そのように説明がされております。
ですので、西洋から渡来したレトリック用語ではありません。英語名として上に書いた“missing subjects”というのは、厳密に言うと「主語の省略」という訳になります。「日本語には、主語の省略が多い」とかいう時に使う「主語の省略」に当たります。
主辞内顕
『小林英夫著作集8 文体論的作家作品論』(小林英夫/みすず書房)
著作集では、この巻がいちばん「主辞内顕」についてくわしく書いてあります。志賀直哉について書かれているあたりに、「主辞内顕」が登場します。
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