箴言:「教訓」になることを、みじかくまとめたことば
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箴言 しんげん proverb

『N・H・Kにようこそ!』2巻47ページ(滝本竜彦・大岩ケンヂ/角川書店 角川コミックス・エース)
  • 佐藤(まさか想像の中
  • とはいえ
  • 岬ちゃんを勝手に
  • 陵辱する訳には
  • いかないぜ!!)
  • 岬(佐藤の想像)「さとうくん…」
  • 佐藤「!」
  • 「ぐわっ やめろ!!
  • やめてくれ!!
  • 小人閑居して
  • 不善を為すが
  • 如くか!? 俺は!?
  • 心頭滅却! 心頭滅却!!
  • 山崎「……」-『N・H・Kにようこそ!』2巻47ページ(滝本竜彦・大岩ケンヂ/角川書店 角川コミックス・エース)
  • 定義重要度2
  • 箴言は、生活していくうえでの「教訓」になるようなことがらを、みじかくまとめたことばのことをいいます。つまり、おおくの人が知っている、人間のもつ一面をうつしとったような「決まり文句」のことをいいます。

  • 効果

  • 効果1説得力のある言いまわしになる

  • 古くから伝わってきた威厳のある「箴言」を使うことで、説得力を増すことができます。
  • キーワード:説得力、説く
  • 使い方
  • 使い方1古くから使われている簡潔な箴言

  • 古くから使われている「箴言」は、簡潔でかつポイントをついたものになっています。これを利用することで、歴史の重みを表現することができます。
  • キーワード:古く、古来、由来、旧来、長年、昔、過去
  • 注意

  • 注意1「箴言」のフレーズは、「ことわざ」よりもマイナー

  • 「箴言」は、引用してきたことをハッキリ書きあらわすほうがメジャーです。それは、ふだんなじみのないことばだからです。これにたいして「ことわざ」は、たいていの人が知っているのがふつうです。なので、引用してきたことをハッキリ書かないのがよとされます。
  • キーワード:引用句、引用
  • 例文を見る)
  • 引用は『N・H・Kにようこそ』2巻からです。

    主人公は、「佐藤達弘」

    「佐藤」は、ひきこもり。その、佐藤みずからの自己紹介によれば、
    • そう! 俺は
    • 今をときめく
    • 「ひきこもり!!」

    • 佐藤達弘(22)
    • 社会問題最先端を
    • 現在爆走中!!
    • ——1巻6ページ
    しかし、佐藤が住んでいるアパートの、となりの部屋の住人が「山崎」という男だった。このことから、ストーリーが動き出す。
  • この、となりに住んでいる「山崎」は、佐藤の高校時代の後輩で顔なじみだった。そして、なによりも山崎は「オタク」だったのだ。
    そして「山崎」は、「夜ゼミ」という専門学校に通いつつ、クリエーターを目指していた。

    問題は、「山崎」が将来なろうとしていたのが「エロゲーのクリエーター」だということ。説明するまでもなく「エロゲー」というのは、「18歳未満お断りになる、エロいゲーム」のこと。

    そんなわけで、「佐藤」もまた「山崎」とともに、「エロゲー」をつくるメンバーの1人となった。

    さて、他方で。
    「佐藤」は、「岬」という女の子と知り合う。さいしょ「岬」は、「宗教勧誘のおばさん」についてきて、たまたま佐藤の家をおとずれた。しかし、どうしたことか「岬」は、「佐藤」の「ひきこもりっぷり」に興味をもった。そして、次第に「岬」と「佐藤」とは親しくなっていく。

    そして、引用のシーン。
    「佐藤」は、「エロゲー」のストーリーを考えている。だが、どうしても「岬」のことがアタマから離れない。エロゲーの対象となる女の子、つまり陵辱する女の子として、どうしても「岬」をイメージしてしまう。

    そんな「佐藤」は、もだえ苦しむ。そして、ひとりごととして「箴言」を2つほど使います。
    • 小人閑居して、不善を為すが如く
    • 心頭滅却
    というのが、「箴言」にあたります。
    つまり、みだらなことを考えてしまう自分を「いましめる」。そのために「箴言」を用いているというわけです。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1「箴言」と、「ことわざ」などの定型句との違い意味

  • 深く知るa「箴言」となるフレーズの出所
  • たいていのばあい、「出典」といわれるような「そのことばの出所」がハッキリしています。このことは、ほかの「ことわざ」や「慣用句」といったようなものとの違いといえます。

    日本のばあい。
    この「箴言」の使われるようになった「出典」が、わりと限られます。

    具体的に書くと、中国の古典といわれるようなものです。それは、「漢詩」であったり「歴史書」であったり、たまに「物語」であったりします。

    またキリスト教で「The Proverbs」といったばあい、多くは旧約聖書の「箴言」を意味します。

  • 深く知るb「箴言」に近いレトリック用語の区別
  • 「箴言」に近いレトリック用語と、それに対応する英語をならべてみました。これは、「ことわざ」だとか「格言」だとか、そういった用語を区別することが、とても難しいからです。言いかえると、「ことわざ」だとか「格言」だとかの境界線をどこに引くかという判断をするための資料として、書いておきます。
    • 寓言・たとえ話 → parable
    • 格言 → sentence,maxim
    • 箴言 → proverb
    • ことわざ → adage,paroemia
    • なぞ → enigma,riddle
    • 寓話 → fable
    • 警句 → aphorism,epigram
    しかし。
    現実には、こんなにキッチリと区別できません。それは、日本語のほうにも英語のほうにも当てはまります。

    ですので、とりあえすの参考のものと考えておいてください。上に書いた表は、「だいたいこんなもの」という程度のものです。間違っても、左に書いた日本語と、右に書いた英語とが、一対一で対応しているわけではありません。というのは、完全にこれらを振り分けることは非常に困難だからです。

    なお、くわしくは「 成句・イディオム」のページを参照してください。

  • 深く知るc「成句」のなかでの「箴言」の特徴
  • さいしょにも、ちょっと書きましたが。
    「箴言」というレトリックが、ほかの「成句」と違っているところをあげてみると、つぎのようなことがいえます。
    • 「箴言」は、はじめにだれが使ったのかが分かることが多い。
    • つまり、「出典」が見つかることがおおいということです。そのため、「最初に使ったシチュエーション」がハッキリしていることが大部分です。
    • 「箴言」は、教訓的なものが多い。
    • 教訓的というのは、昔のえらい人の「教え」だというような意味です。なので、ばあいによっては「説教くさい」ものになります。そのあたりは、使いかたに注意することが必要かもしれません。
    「箴言」の英語訳は、とりあえず"proverb"ということにしておきました。

    なお。
    英語で"Proverbs"というふうに「最初を大文字で」書いたばあい。これは、旧約聖書のなかにある『箴言』という本のことをさします。

  • 深く知る2「箴言」に使われている「箴」という漢字の意味
  • 「箴言」という単語に使われている、「箴」という漢字。これは、「いましめ」というような意味をもっています。

  • 深く知る3「箴言」が、絶対的な真実を言い当てているのではないこと
  • 「箴言」は、ある一定の場面で通用するものです。つまり、いつでも正しいという真理をあらわしたものではありません。シーンによっては当てはまったりするけれども、別のシーンでは通用しないということが、ままあります。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 箴言
  • 参考資料
  • ●『日本のことわざ(四)概論・講説』(金子武雄/海燕書房)
  • 「箴言」というマイナーなレトリック用語を、それなりに解説してあります。
  • 余談

  • 余談1「小人閑居して、不善を為すが如く」って、なに?
  • 「小人閑居して、不善を為すが如く」のだいたいの意味は、
    つまらない人間は、人目のつかないところでは良くないことをしがちになる
    というようなことです。

    ここでの「小人」というのは、もともとは「徳のない君主」という意味のことばです。けれども、こんにちでは、たんに「器の小さい人」とか「つまらない人」といったことをさします。

    また「閑居」というのは、もともとは「気を抜いていること」とかいったことをいいました。ですが現在では、「ヒマでいること」「ブラブラしていること」といったようすをさしています。

    まとめると。

    もともと、このことばは君主にたいしてのもので、
    徳のない君主は、気を抜いていると良くないことを考えがちになる
    といったことを指していました。

    ですが、いまの日本では、
    つまらない人間が、ヒマでいると良くないことをする
    といった意味で使うことができます。

    なお、もともとの出典は『大学』です。

  • 余談2「心頭滅却」って、なに?
  • おおまかにいえば、
    心の中にある雑念を取りのぞこう
    といったことです。

    「心頭」というのは、「こころ」のこと。また「滅却」というのは、「なくす」ということです。

    もともとに出典は、杜荀鶴(とじゅんかく)の書いた詩です。けれどもこの熟語は、戦国時代に「快川」というお坊さんが使って有名になりました。

    「快川」について、くわしく書くと。
    この「快川」という和尚さんは、恵林寺という寺の住職でした。そしてこの恵林寺は、武田にゆかりのある寺でした。

    なお、戦国時代の「仏教寺院」というのは、現在のイメージとはかなり違うことに注意しておく必要があります。この時代の「寺」というのは、「宗教武装勢力」といったほうがピッタリします。つまり、武田にゆかりのある寺というのは、「武田方の宗教武装集団」といったほうが正確です。

    で。
    武田軍は、織田軍と対立するようになった。そしてその結果、武田軍と織田軍が戦争をはじめる。そして織田軍は、「快川」が住職をしている恵林寺に攻めてくる。もういちど書きますが、当時の「寺」というのは「武装集団」です。なので、それが敵である「武田」の味方である以上は、攻め込む必要があったわけです。

    そして、ここで織田軍が使った戦法。それが、「火攻め」です。つまり、恵林寺に火を放って、もろとも焼き殺すという手段をとります。まあこのあたりは、戦国時代の戦いかたとして納得していただくよりほかありません。

    そこで、住職である「快川」は、寺とともに焼き殺されてしまうわけです。なのですが、この「快川」は死ぬまぎわにセリフを残します。それが、
    心頭滅却すれば、火もまた涼し
    という例の「箴言」です。

    …これは、すごくナゾです。だって、「快川」のまわりは火に囲まれているわけです。これから焼き殺されようとしているわけです。それなのに、そういったアブナイ状態にいう「快川」さんのセリフを聞き取る人が、どうしていたのだろう…?

    ま。それは、歴史的に見れば良くあることですけれども。たとえば織田信長が、本能寺のまわりを明智光秀にかこまれたとき。そんな風前の灯火のような状況で話したセリフ、
    是非におよばず
    というのが残っている。それは、だれが聞いていたのでしょうか? だって、本能寺で戦った織田の味方は全員殺されていますし。

    …けれども、このセリフは『信長公記』という書物に残っています。そして、この『信長公記』という本は、戦国時代について書かれたもののなかで最上級の資料とされています。…やはり、ナゾです。

    とにかく。
    この「快川」という和尚さんが使ったということで、この「心頭滅却」という「箴言」は有名なものとなりました。

  • 余談3まとめると
  • 以上を、ひとことでまとめると。
    ひきこもりになると、ムダな知識が増える
    ということでしょう。

    とくに佐藤は、「小人閑居〜」というほうの「箴言」を、「もともとの意味」に近い使いかたをしている。つまり、佐藤自身の持っている、みだらな心を「いましめる」という意味で使っている。

    この使いかたができてしまうというのは、ムダに知識だとおもう。つまり、他人と関係をもっていくうえでは役に立たない知識。まさしく、「ひきこもり」であるがゆえの知識だと感じるわけです。