回文:文を逆から見ても最初から見たのと同じもの
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回文 かいぶん palindrome

短編「フリル」 『パフェちっく!』1巻166ページ所収(ななじ眺/集英社 マーガレットコミックス)
  • ゆう「…へへ…へ」
  • 瀧(ぐいっ)
  • ゆう「いだ——っっっ
  • いだいいだい
  • いだいいだい
  • 何すんだよ〜〜っっ」
  • 瀧(ぐいぐい)
  • ↑髪の毛を引っ張る音
  • 顔洗え」
  • ゆう「はぁ!?
  • いーよ 別に」
-短編「フリル」 『パフェちっく!』1巻166ページ所収(ななじ眺/集英社 マーガレットコミックス)
  • 定義重要度3
  • 回文は、前から読んでも後から読んでも、同じ「発音」または同じ「つづり」のものです。つまり、ことばとか文を逆から見ていっても、さいしょから見ていったのと変わらない。どちらも、いっしょになってしまう、といったものです。

  • 効果

  • 効果1ことば遊びの要素が強い

  • 知的な好奇心を満たすような、ことば遊びの要素が強いものです。マジメな場面で役に立つかはともかく、あそびとして楽しむことができるようになるものです。
  • キーワード:遊び、戯れる、遊戯、ことば遊び、言語遊戯、知的好奇心、関心、興味、好奇心、好奇

  • 効果2多くの人が知っているので、親しみがもてる

  • 多くの人に親しまれてる、あそびです。たぶん「回文」のルールを知らない人は、1人もいないでしょう。
  • キーワード:親しみ、近寄る

  • 効果3創作というよりも発見に近い

  • 新しい「回文」を作るのは、創作というよりも発見に近いものです。
  • キーワード:発見、探しあてる、探りあてる、突きとめる、見つける、見つけだす
  • 使い方
  • 使い方1前から読んでも後ろから読んでも同じになるため、均斉がとれる

  • 前から読んでも後ろから読んでも、同じになる。そのため、均斉の形式を重視することになります。
  • キーワード:均斉、釣りあう、相応、均衡、バランス、相称、対称、シンメトリー
  • 例文を見る)
  • 引用は「フリル」から。(所収:『パフェちっく』1巻(ななじ眺/集英社マーガレットコミックス))

    主人公は、新名ゆう。

    彼女は「男嫌い」の性格で、「男女」と言われたりする。
    そんな「ゆう」に唯一かまってくるのが、「瀧」というクラスメイト。

    引用したシーンは、どうして「ゆう」が「男女」と呼ばれるような性格になったのかを、「瀧」に告げている場面。
    で、その一部始終を「瀧」に話したら、「ゆう」の目には涙がこぼれてきてしまった。
    だから「瀧」が無理矢理引っぱって、「顔洗え」と言っているわけです。

    なのですが、「回文」として引用したのは、そういうストーリーとはあまり関係ない部分です。つまり
    • いだいいだい
    • いだいいだい
    というところが「回文」になっている。ただ、それだけのための引用です。

    この「いだい」が連続する部分を、漫画家さんが「回文」だと意識して書いているとは思えません。また、「いだい」という言葉が連続しているだけなので、「回文」の例としては、あまりいいものだとは思えません。

    ですので、この引用は、「とりあえず」のものだと思って下さい。他にもっといい「回文」を見つけたら、そちらを引用することにします。まあ要するに、「つなぎ」のための一時的な引用だと思って下さい。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1ふつうの「回文」をあげてみる
  • だれでも「回文」がどういうものかと聞かれたら、いくつか答えることができると思います。

    短いものでは
    「八百屋」「新聞紙」
    などがあります。

    もう少し長いものになると、
    「ダンスが済んだ」「たしかに貸した」
    とかいったものがあげられます。

    このように、とくに日本語で「回文」は、なじみ深いものです。

  • 深く知る2「回文」の形式
  • 日本では昔から、いろんなジャンルで「回文」が作られました。「和歌」「俳諧」「川柳」「詩歌」「散文」など、それぞれに合ったスタイルがあります。

  • 深く知る3「回文」について深く知る

  • 深く知るaヨーロッパでの「回文」について
  • みなさんご存じのように、日本語には「回文」があります。そして、ヨーロッパなど欧米の国々にも「回文」というものがあります。英語でいえばpalindromeというのが「回文」のことです。

    ですが、厳密には。日本語でいう「回文」と、ヨーロッパでいう「回文」。この2つは、ちょっと違っています。どこが違っているのかを具体的にいえば、つぎのようになります。

    日本語でいう「回文」とは。
    先頭から読んでいったばあいと最後から読んでいったばあいとで、同じ読みかたになるものをいいます。つまり、「読みかた」が同じになるものを「回文」とするものが、日本語でいう「回文」です。

    ヨーロッパでいう「回文」とは。
    先頭からの文字のならびかたと最後からの文字のならびかたとで、同じつづりになるものをいいます。つまり、「文字のならびかた」が同じになるものを「回文」とするものが、ヨーロッパでいう「回文」です。

    具体的に見たほうが、わかりやすいと思います。

    たとえば、日本語の「回文」としては、
    「竹やぶ焼けた」
    が有名です。

    この「竹やぶ焼けた」を「たけやぶやけた」と平仮名にする。そして後ろから読んでみると、やっぱり「竹やぶ焼けた」と読むことができます。このようなものが、日本語でいう「回文」にあたります。

    これにたいして、英語の「回文」としては、
    Madam,I'm Adam. (ご婦人、私はアダムです)
    みたいなものをいいます。

    この「Madam,I'm Adam.」というスペルは、最後から見ていっても「Madam,I'm Adam.」となる。つまり、一文字ずつとらえていくと、さいしょから見ていっても終わりから見ていっても、同じになる。これが、ヨーロッパでいう「回文」です。

    そして、たしかに。
    アルファベットがつくられたときには、「1つの文字」に対して「1つの音」が対応して割り当てられていました。ですので、文字のならべ方を正反対にする。そして、うしろから発音していく。それは、うしろから文字を追っていくことが、同じことだったのです。(つまり、アルファベットが「表音文字」だということ。)

    で。そのように、「1つの文字」が目にとまった時には、その文字に対応する「1つの音」がピッタリ決まっていた。そんなラテン語の時代はよかったのです。

    ですが。時代が下るにつれて、「文字」と「音」とが一致しなくなっていきました。とくに現代の英語では、こういった「文字と音とが一致しない」という例が多く見られます。

    たとえば、“knight”の“k”のように。読まない“k”の文字があるということは、文字と音とが合っていないことを、よくあらわしています。(ほかには、“knee”の“k”とか。)

    なおいちおう、“knight”に使われている“k”の歴史的な流れを見ておきましょう。

    knight”という単語にある“k”は、昔の英語ではシッカリ発音されていました。ですが、時代の流れで“k”に対応した「発音」が消えてしまいました。ここで、アルファベットに原則どおりであれば、書くときに使われていた“k”を削ればよかったのです。けれども、英語にはすでに“night(夜)”という単語がありました。そして、“knight”と“night”とが「同じ発音になってしまう」という状況になりました。

    ここで、知っておかなければならない、「ことばを使う上での大原則」というのがあります。それは「同じ発音」だったり「同じつづり」だったりすると、間違いや誤解を生みやすい。なので、ことばは「同じ発音」や「同じつづり」にならないように進化していく。そういった決まりがあります。

    してみるに。
    knight”の“k”を発音しなくなったという時点で。すでに、“knight”と“night”と「同じ発音になってしまう」という困った状況になっています。なので、この上もしも“knight”の“k”を書かなくしてしまうと。“(k)night”と“night”とを区別することができなくなってしまいます。もちろん、たいていのばあいは、文の流れから「騎士」なのか「夜」なのかは見当がつきます。ですが、かりに100回に1回でも、「騎士」なのか「夜」なのかを区別しづらい状況がおこるとするなら。それは、コミュニケーションの道具として失格です。

    そんなわけで。“knight”にある“k”の文字は、すでに発音しなくなった現在でも書くことになっています。そして、ここで言いたいことは。
    英語では、こういった「つづりとして書かれる文字が、発音されないパターン」が山ほどある。
    それに、たとえば a という文字がいろんな発音になるので
    ちっともアルファベットと発音とが対応していない。
    ということ。そして、その結果として、
    英語の「回文」というのは、「つづり」を逆さまにしたものを指している。
    なので、「発音」を逆さまにすることを「回文」とはしない。
    としている、ということです。そして現代のヨーロッパにある言語は、大なり小なり、こういった「つづりと発音が一致しない」という状況にあります。まあドイツ語は、「つづりと発音が一致しない」ことは少ないとは思いますが。

    そういったわけで。
    日本語の「回文」とヨーロッパの「回文」とでは、ちょっと意味がちがうのです。ですので、この2つを比べることはできません。たとえば、日本語では「回文」がつくりやすいとかいうことはできません。逆に、ヨーロッパにも「回文」がたくさんあるという主張もズレた考えかたになってしまっています。

  • 深く知るb日本の旧仮名遣いと「回文」
  • 旧仮名遣いには、文字と発音とのあいだに少しズレがあります。たとえば、同じ発音をするのに「ム」と書いたり「ン」と書いたりする。そういったものが、いろいろな単語に含まれています。

    その結果、ちょっと困ったことが出てきます。それは何かというと、前から見ていくのと最後から見ていくのとで、「文字のならびかた」が変わってしまうということです。つまり、「文字」を逆さまに見たばあいには、同じにはならないということです。

    ですが。
    同じ音で口から出すのだから、文字がちがっていても「回文」と扱ってかまわないことになっています。なぜなら、つかっている「文字」がちがっていても、「発音」は同じだからです。あくまで日本語の「回文」は、「読みかた」を中心にして考えます。これは、先ほどから書いているとおりです。

    これは、私が考え出したものではありません。現実に旧仮名遣いをしていた昔の人が「回文」をつくるときに、そのように考えていたのです。

    たとえば、
    「遠き鳴き音」
    という文があります。旧仮名遣いになおすと、「ときなきと」です。その文字だけを見ると、「ほ」と「を」とが一致していない。なので、一見すると「回文」になっているのか疑問になります。

    けれども昔の人は、このようなものも「回文」としていました。なぜなら、「発音」が同じだからです。「ほ」であっても「を」であっても、口から出す音は「お」なのです。たしかに仮名では、「ときなきと」と書かれる。けれども実際の発音は、「ときなきと」になるのです。つまり、「発音」としてはシッカリと「回文」になっているのです。

    ですので、このようなものも「回文」として見ることができます。まあ1つには、「ことば遊び」なのだから細かいことを考えるなということもあったでしょう。なお、「遠き鳴き音」という「回文」は、実際に江戸時代につくられたものです。

    もっというと。
    昔の人が、旧仮名遣いを正しく書いていたかというと、そんなことはない。今でいうところの旧仮名遣いから考えると、おかしなものがあります。たとえば、「見える」を書くところを「見へる」と表記するような書きかたは、いくらでもある。とくに江戸時代に出版された本では、旧仮名遣いのルールなんてものは、ちっとも守られていない。

    そういったものにたいして、いちいち怒るわけにはいかない。と考えると、やっぱり細かいことは考えてはいけないのです。

    さらには、「発音」がちがうのに「回文」になるということもありました。それは、「にごる音」(=濁音・半濁音)と、「にごらない音」(=清音)とが使われたばあいです。つまり、濁音の部分を反対から読むときには清音になったりしたということです。これは、半濁音にも同じことがいえます。

    これには理由があります。それは、
    てきとうに濁点をつけて読む習慣があった
    ということです。つまり、ほんとうはつけなければならない「テンテン」や「マル」がないという文があった。それも、ほとんど当たりまえといえるほど、たくさんだった。そのため、濁音になるのか清音になるのかは、読むほうで判断しなさいということになっていた。

    そういったわけで、「発音」が異なるのに「回文」になるものもありました。たしかに濁音と清音とは、「発音」がちがいます。ですが、たとえば清音にたいして濁音を使ったり半濁音を使ったりすることは、許されることになっていました。

  • 深く知るc日本での、「回文」の歴史
  • 日本の「回文」は、もともとは中国にあったものです。中国の漢詩のかたちをした「回文」が日本に伝来して、まず漢詩での「回文」が日本でつくられる。そしてだんだんと、日本語の仮名でも「回文」がつくられるようになりました。

    なのでこの「回文」は、かなり昔から日本にありました。『回文ことば遊び辞典』(上野富美夫[編]/東京堂出版)によると、
    平安時代に創られた「隅の間の御簾(すみのまのみす)」というのが、恐らく最も古いものであろう。
    とのことです。『俊頼髄脳』(源俊頼/1113年?)という平安時代の歌学書のなかで、「廻文」として指摘されています。

    また、「回文」となっている和歌。これが日本で最初に見られるのは、『奥義抄』(藤原清輔/1124年?)です。
    「むら草に草の名はもしそなはらば、なそしも花の咲くに咲くらむ」
    という和歌が紹介されています。

    はなしを、本題に戻して。

    そしてさらに時代が下ると、俳句(川柳・狂歌)のかたちをした「回文」もできます。これは、俳句(川柳・狂歌)というものができたことから、自然とつくられるようになりました。[

    つまり日本には「回文」のタイプが、いろいろあったわけです。「漢詩」タイプ・「短歌」タイプ・「俳句」タイプと、さまざまなものがありました。ほんとうは、もっといろいろあったのですが、長くなるので省略します。

    で。
    じゃあ、どれがいちばん多かったのか。それは、「俳句」タイプです。どうしてかというと、文字の数が「回文」をつくりやすいものだったからです。

    どういうことかというと。
    まず「漢詩」タイプは、どうしても日本人にはつくりにくい。とすると、「短歌」タイプか「俳句」タイプが多くなる。

    とすると、「短歌」タイプと「俳句」タイプはどちらがいっぱいあるか。それを考えるポイントは、「文字の数が対称になっているか」というところです。なぜなら、文字の数が対称になっていたら、ひっくり返すかたちをとる「回文」はつくりやすくなるからです。

    そこで文字の数が対称になっているかを見ると、「短歌」は「5・7・5・7・7」になっている。これにたいして「俳句」は、「5・7・5」のかたちをとる。「短歌」は、文字の数が対称になって「いない」。けれども「俳句」は、文字の数が対称になって「いる」。そのため、「短歌」タイプのほうがつくりにくいので少なくなる。はんたいに「俳句」タイプは、たくさんつくられることになる。

    ですので江戸時代には、「5・7・5」のかたちをした「回文」が、たくさんつくられました。

    なお。
    上の『俊頼髄脳』の書かれている和歌も、完璧な「回文」ではありません。なぜなら、清音と濁音とのちがいを無視しているからです。ですが先ほどもかいたように、これはよくあることです。旧仮名遣いでは「回文」といえるけれど、新仮名遣いでは完全な「回文」にならないものがあります。ですが、このようなものも「回文」として許容されています。

  • 深く知るdとてつもなく長い「回文」
  • もっと長い「回文」になると、土屋耕一氏の作品。『ことば遊び—ことば読本—』(谷川俊太郎ほか/河出書房新社)のうち、阿刀田高氏の書いている「回文」の章を見てみると…
    厳い祭礼、晴着纏いて来し。山車を皆と曳き出す。可成揉むが御神輿か、降し止み、時経つも釣普及懇親会は司会者懊悩、本意なし。郷土舞踏も済みて着換え終り、待つ後開かれ、今宵好い機会、夜も農村映画や御神楽愉快か酔い痴れ、嬉しい夜、階下揺らぐ顔。野外演奏の催しいよいよこれから、人集り輪を描きて見、相撲と武道、予期しない奉納を香具師活かし、拝観進行。雪降り積った帰途御社を畏み拝む杜中、集き、人波押し出し来ていと紛れ、拝礼再開。


    読みかたは
    イカイサイレイ ハレギマトイテキシ ダシヲミナトビキダス カナリモムガオミコシカ オロシヤミ トキタツモツリフキユウコンシンカイハシカイシヤオウノウ ホイナシ キヨウドブトウモスミテキガエオワリ マツアトヒラカレ コヨイヨイシオ ヨモノウソンエイガヤオカグラユカイカヨイシレ ウレシイヨ カイカユラグカオ ヤガイエンソウノモヨオシイヨイヨコレカラ ヒトアツマリワオエガキテミ スモウトブドウ ヨキシナイホウノウオヤシイカシ ハイカンシンコウ ユキブリツモツタキトミヤシロオカシコミオガムモリナカ スダキ ヒトナミオシダシキテイトマギレ ハイレイサイカイ
    もはや、これが「回文」であるかどうかを判断することさえ難しい。私(サイト作成者)はサイトをつくっているという立場上、ねんのため「回文」だということを確認しました。ですが、同じことをする必要はありません。ただ、この「回文」の長さに圧倒されます。それで十分です。

    なお「ツ」と「ッ」、「オ」と「ヲ」と区別していませんが、それでかまわないというのは、現在も同じです。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 回文・廻文
  • 呼び方2
  • パリンドローム
  • 参考資料
  • ●『ことば遊び(中公新書 418)』(鈴木棠三/中央公論社)
  • 「ことば遊び」に関することについては、鈴木棠三氏の右に出る者はいません。
  • ●『ことば遊びの文学史』(小野恭靖/新典社)
  • 回文の日本史を、知ることができる本。つまり、日本で「回文」が、どのような経緯をたどって広がっていったのかといったことが書かれています。内容は、ことば遊びの文学史にかんしての基本的な学問書、といったところです。難しい文章で書かれているわけではありません。ですが学問書なので、興味を持って読む人は、ちょっと限られるでしょう。
  • 余談

  • 余談1「回文」を作って楽しんだり、いろいろな「回文」を見たい人に
  • また、このサイトは「回文」を紹介することに限定したサイトではありません。もっといろいろな「回文」を見てみたい方は、
    Yahoo!の「回文」のページ」などで探してみるといいと思います。